これからが問題だ。

車(voxy)に積めるだけの野菜果物と菓子類、台所洗剤、ハム・ソーセージ、コーヒー・紅茶、割り箸、こいのぼり、お酒、ジャージ等を積み、22日早朝に家を出る。南三陸町には丁度お昼頃に到着した。

南三陸町志津川に入ると、新聞やテレビでさんざん見てきた光景だというのになぜか体が自分のものではないような感覚に襲われる。まるで双子のお笑い芸人のやる「ユウタイ離脱」だよ。一か月以上たっているのでこれでも随分片付いてきているのだろうに。
「神も仏もあったもんじゃない」っていうのはこういうこと?
被災者はどうしているのだろう。
「被災者の気持ちになって」などという言葉すら不遜に思えるほどの救いようのないひどさ。

事前にネットを通じて情報提供をいただいていたHさんがまだ現地にいるというので連絡を取ったところ、運よくお会いできたので、もっとも必要としているのはどこか尋ね、歌津の名足保育園(避難所)に向かう。

当初は数か所の避難所を回る心算だったので、救援物資を3セットもってきたのだが、同保育園は避難者が多いのと、近隣のかなりの自宅避難者が配給を受けにくるということで、全ての荷物をここで下す。
避難所の責任者の区長さんと数人の人達が荷物を下ろすのを手伝ってくれたが、みな疲れきってるような様子だ。
お菓子を詰めた箱を下ろしたときに区長さんが「これは子供達が喜ぶなあ」とつぶやいた。その言葉を聞いた時に、はじめて来た甲斐があったと思った。

志津川に入った時は写真など撮る気にもならなかったが、帰りには気持ちも落ち着いたので少しだけ写真を撮って来た。それでも多くの人達が黙々と捜索やかたずけをしている中で、カメラマンでもないのに物見遊山のように写真を撮るのは躊躇われ、車の中から隠し撮りするようにして撮って来た。今思えばもう少し撮ってくるべきだったか・・・。

これからが問題だ。_d0117565_22182716.jpg


昨年訪れた時に見た防潮堤、かろうじて残っているが、周囲は見る影もなく何も残っていない。
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それにしても南三陸町ではHさんのようなボランティアの活動で現地の人達は随分助かっていると思うのだが、行政は一体どうなっているのだろうか。
原発の問題があるにしても霞が関や政府はいったい何をやっているのか。
「お前ら本気で助ける気があるのか!」と言いたくなるくらい、行政の姿が見えない。

あれやこれや複雑な思いで帰って来たわけだが、これで一区切りついたというわけではない。
これからどうするか。
単発の支援ではなく、今後どういう形で東北を支援していくか。
「今」から始まる問題だと思う。
by katabami03 | 2011-04-23 22:41 | 私は思う。(日々雑感)
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