ボランティア考。

昨日今日と豊島区内にある老人の日帰り施設(デイサービス)二か所でお年寄りたちにいけばなを楽しんでいただいてきた。
いわゆるボランティアってやつで、かれこれ3年目にはいっている。

自分でやっていながら言うのも変な話だが、このボランティアっていうのが今だによく分からん。
そもそも始めた理由もひどく曖昧で、義務感があるわけでもなく、ましてや高尚な理念など全くない。時間が空いている時にちょっとやってみようかなあ、と思って始めたのが運のつきで、引くに引けずに続けている、というのが正直なところ。そんなわけだから、よく言われる「社会貢献」などとは全~んぜん無縁。

先日パラオ、シンガポールを旅してきて、ボランティア(奉仕)とかホスピタリティー(おもてなし?)とかといったものについて少しばかり考えさせられるところがあった。
日本にはいろいろといい習慣がたくさんあるけれど、こういった精神はあまり日本には根付いていないよなあ・・。
私の両親の世代にはそういった概念すらなかったのではないだろうか。戦時中には勤労奉仕というのがあったそうだが、あれは奉仕をかたった強制労働だろう。
そんな両親に育てられたわけだし、学校教育の中でも教わった記憶はない。そもそもボランティアなんて言葉を知ったのも高校生くらいになってからのことだと思う。だから分からないのも当然といえば当然だ。
だから時々、ひどく損をしているような気持ちになったり、こんなことをして何になるんだろうと思ったりもする。
一度にたくさんの人数を見るのはとてもいい指導体験になるので、そういった意味では決してマイナスばかりではない・・・なんていう打算も働いたりする。
そんなわけだから、真のボランティアスピリットとはちょっと違うのだろう。

先の展覧会の折にひそかに尊崇しているM先生が見に来てくださった。M先生は某流の重鎮の先生なのだが、少しばかりお話させていただいた折に、「今迄長いこといけばなをやってきたが、80になって改めて思うところがある」と意味深な物言いをされていた。どういうことなのだろうか、とおもっていたが、別の先生にそのお話をしたところ、「お年寄りの慰めになるようなことをしたい」といった意味のことを話されていた、と伺った。
これには参った。やはり地に足がついた人の考えは違う。ホンモノとニセモノの違いがこういうところで出てくるのだろう。

M先生には及ぶべくもないが、良いと思われる習慣はまねても咎められることではないだろう。
親の世代には0だったのだから今が不自然なのもお許し願いたい。にわかボランティアも続けていれば次の世代はもう少ししっくりとしたものになってくれるだろう。
by katabami03 | 2010-10-28 23:09 | 私は思う。(日々雑感)
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