雨に唄えば。(リシノメ79)

2月の東京はハラハラと小雪の舞う日が多かったが、このところ雨続き。
明日はまた寒くなるらしいが、季節は一進一退、こうして春になっていくのだな。

ところで我が家の周辺だが、宅地化が進んでいるものの、農家も健在。
こんな光景もそこここで見受けられる。
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水たまりに映る空や木々、忘れていたものが思い起こされる一刻。

まあこの程度の雨ならば抒情にひたる余裕もあるのだが、豪雨ともなるとそうも言ってられない。
大体畑は水はけを良くするためか、道路よりも高く土が盛られている。そこに大量に雨が降り注いだ時に、畑が吸い込む許容量をこえると、畑の土が泥水となって道路にあふれ出してくる。

畑と道路の間は一応こんなことをしているが、自然の驚異の前ではほんの子供だまし。
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あふれ出した土が行き場を失って、道路が一面泥の海と化す。
自然が残っていていい、と無邪気に喜んでばかりもいられない。それなりのリスクはあるものだ。

「子供のころは雨降りを苦にする、ということはなかったと思う。水たまりに入って靴下をグショグショにしながら遊んだ記憶のある人も多いことだろう。雨を厭うようになったのは、服や靴が濡れるとか、傘を持つのがわずらわしいとか、そんなことを気にするようになってからのことだろう。けれども、濡れてもいい格好さえしていれば、雨は今でも楽しい。」

これは以前に書いた山行記のなかの一文。
件の泥水とて皮靴などではなく長靴でもはいていれば、これは普段は体験できない(楽しい)ひと時を過ごすことができるというもの。
もともと泥田の中をはいずりまわっていた民族の末裔、こういった感覚は体の奥底に染みついた本能みたいなものなのではないだろうか。

山歩きをするにはまだ膝に不安が残る。ジーン・ケリーを気取るわけでもないが、もう少し暖かくなったらカッパでも着て雨の中を歩いてみようか。
by katabami03 | 2010-03-06 22:51 | リシノメ
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