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夏の終わりはいつも寂しい。

今日で8月も終わり。明日から9月だ。

まだ暑さのぶり返しはあるのだろうが、ここ数日の涼しさを思うと、何だか夏が終わったみたいな雰囲気だ。
でもって、夏の終わりはいつも寂しい。いくつになっても寂しい。裏庭のコオロギまでもが往く夏を惜しむかのように、命の刹那、懸命に鳴き競っているようだ。

なんか文学だなあ・・。とってもブルーズだなあ・・。

てか、明日から仕事が山積、休み明けの登校拒否か?   ・・・いくつになっても変わンねえなあ・・・。
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久しぶりにこんなドアノブを見かけた。
レトロな雰囲気がありながら、このシンプルすぎるデザインがかえって新鮮。多分私くらいから上の年代の人なら、コレを見ただけで感触が蘇って来るのではないだろうか。

このドアノブだって立派にお勤めを果たしているではないか。
使えるうちは無理やり変える必要もないって事か、ハハハ・・・。
by katabami03 | 2007-08-31 22:15 | リシノメ | Comments(0)

お百姓さん有難う。

やっと涼しくなりましたねえ。
この二晩は良く眠れたなあ。やっぱりクーラーの涼しさと自然の涼しさとは違うものですねえ。

今年は7月中は涼しく、冷夏の予想が出たりで、内心米の不作を心配したけれども、8月にはとんでもない猛暑。まあおかげでお米のほうはまずまずの出来のようでホッとしている今日この頃です。あとは台風などで大きな水害が出ないことを祈るばかりです。

それにしても農業に従事している人達の苦労は察して余りある。
先日半日ほど草刈や枝払いをしただけで汗だくになって、もうぐったりという体たらく。農家の労働量に比べたらお遊びみたいなものだろう。それを思うと米や野菜は決して高いとは思えなくなってきます。
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農作物に限らず、食べ物は大事にしましょうネ。
by katabami03 | 2007-08-30 22:53 | 私は思う。(日々雑感) | Comments(0)

勅使河原宏展。

今日もまた暑い一日だった。

午前中は埼玉県立美術館に行き、勅使河原宏展を見てきた。
その足で、時々作品素材の竹を買いに行く竹屋さんに、資生堂で使う竹を注文しに行った。
下赤塚という駅から川越街道に出て、ゆるい坂を上った所にその店はあるのだが、街を歩いていて感じた暑さでは、今夏一番の暑さだった。それもそのはず、そこは都内では度々最高気温を記録する練馬区なのだった。
もう峠は越したのだろうが、一体いつまで続くこの暑さ・・・。

埼玉県立美術館のある公園内の噴水池。夜はライトアップされるらしい。
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勅使河原宏氏を初めて知ったのは、もう30年くらい前になるかなあ。勅使河原蒼風・霞・宏の親子三人展を見た時のこと、その展覧会では宏氏は陶芸作品だけの出品だったように記憶している。
ガチガチの伝統工芸の世界にいた私の目にはそのときの作品は、土管機(陶製土管を作る為の機械)から出てきたものを適当にひねくり回したゲテモノとしか映らなかった。
あれから月日も経って、私の目にかぶさっていた、常識とか既成概念といったウロコも少しはがれたようで、いわゆる工芸としてではなく、芸術としての焼き物として素直に見ることが出来るようになった。
館内に展示されていた、蒼風先生が宏氏について書かれた一文が面白かった。
宏氏は、本当にやりたいことだけをやってきたという羨ましいばかりの生涯だったようだ。もしかしたら家元だけが唯一本心では望まなかったことなんじゃないだろうか。
ともあれ草月流家元になってからの竹のインスタレーションなど、VTRや写真をたくさん見ることが出来ていい勉強になった。
・・・にしても・・・、大きな声じゃ言えないが、やっぱ制作費を気にしないで作品を作れるって言うのは羨ましいよなあ。
by katabami03 | 2007-08-28 23:19 | Comments(0)

誰でも出来るアウトドア。

当地に越してきた翌年くらいに庭の片隅に実生の南天が生えてきた。南天は縁起がいいと聞いていたので、比較的日当たりのいい場所に植え替えた。
南天の成長はすさまじく且つパワフル。1~2年放って置くと2m50cmくらいになるし、根元から新しい芽が次々に出てきて、瞬く間に背丈くらいのなってしまう。
というわけで2,3年に一度大伐採を行っている次第。
昨年あたりから気になっていたのだが、そろそろ限界にきている。さらにほかの草木も放恣にまかせ延び放題。というのも、毎年梅雨頃にある程度の草刈や剪定をするのだが、今年はさぼってしまった。そのツケがまわってきたのであった。

話はかわるが、何年か前にラヂオで村野タケノリだか中村マサトシだかが「誰でも出来るアウトドア」という話をしていた。
何のことはない、ただの草刈なのだが、手順があって、まずビールを冷やしておく。そして一仕事すませ、ことのアトにシャワーを浴びてビールを飲む、とのこと。
どーということでもないが、これは一度やってみたいなあ、と常々思っていた。
今日は特にやらねばならぬことも無いし、意を決して「誰でも出来るアウトドア」を決行した。

before
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after
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ここの他にあと二箇所、アジサイ、七竈、金柑等々を大伐採。
裏は普段滅多に立ち入らないので、どくだみやへクソかずらが伸びきっていて、それらを刈ると臭いし、蚊は付きまとうしで往生するものの、ついでに根元の草刈もすませて、春からのツケをようやく払い終えた。

決して楽しいアウトドアとは言えないが、サッパリとした我が猫の額をみていると、そこはかとなくほのかな充実感が立ち上ってくることは確かだ。
by katabami03 | 2007-08-26 22:41 | 樹木 | Comments(0)

ケータイ様。

昨日は終日インターネットが通じなかった。原因は分からない。今日はつながったので、ま、いっか。私だからいいようなものの、これがパソコン必需品の人にとってはただ事ではないのだろうなあ。
パソコンは確かに便利な道具ではあるけれども、私にとっては今のところ無ければ無いで、特に問題はない。今までもそれでやってきた。何とかなるだろう。強いて言えばこのブログを書けなくなるのが一寸残念な事くらいだ。
・・・というのも私、知る人ぞ知る機械オンチ!
ビデオやDVDは再生くらいは出来るが、あとの機能はまるでダメ。パソコンはメールとインターネットを少しやる程度。
携帯電話は4ヶ月ほど前にようやく持ち歩くようになった。それも息子のお古。もっぱら家人との連絡メール専用の為、自分の携帯の番号を知らない。調べ方も分からない。
パソコンにしろ携帯にしろ、機能がいろいろあって便利だというのは分かる。しかしその使い方が全く分からない。教えてもらっても三歩歩くと忘れてしまう。マニュアルを見てその通り実行すれば取りあえず出来るのだけど、次には忘れていて、また最初からマニュアルを見る、の繰り返し。コレ、けっして誇張でなく事実です。

ケータイ様
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このオッサンはどこか決定的に欠けている所があるのかも知れない。でもまあくどいようだけどそれでも何とかなる。
口の悪い仲間は「昭和の遺物」だとか「化石」だとかいうが、でもまあ俺にしか出来ないこともあるわけで、その辺が世の中のバランスというものだろう。
いつか大橋巨泉が言っていたなあ。「You can not have everything.」

喰いきれないものを無理に詰め込んで消化不良をおこすよりも、美味しいところをつまみ食いして、人生の後半を楽しく生きたいよなあ。
したたかな中年男の浅知恵か?
ウン、これも悪くないなあ。
by katabami03 | 2007-08-25 22:20 | 私は思う。(日々雑感) | Comments(2)

夜の鎌倉。

所用で鎌倉に行ってきた。

帰りがけにお腹がすいたので鎌倉駅近くのナントカ食堂へ入った。表に出ていた「鎌倉名物釜上げしらす丼」というのが目に入り、何も考えずにスルスルっと入ってしまった、というのが正しい。
中に一歩入って瞬時に、「ン、はずしたかな。」と思った。いすやテーブルなどの調度は30年くらい前の駅前食堂を彷彿とさせるしつらえ。台所みたいなカウンターの中には白衣を着たおばちゃん二人。かすかにトイレの臭いも漂ってくる。
しかし知っている店もなく、今更出るのも面倒くさいのでとりあえず名物という「釜上げしらす丼」を注文した。
これが予想外に美味であった。
丼飯にしらす、万能ネギのみじん切り、きざみのりがまぶされ、色取りにトマトがほんの少し。これに出し醤油をかけて食べるのだが、このシンプルさがかえって食材本来の味をひきだし、写真を撮るのも忘れて思わずかっ込んでしまった。
この丼には温泉卵がついており、「卵は最初にかけないでね」とおばちゃんに言われた通り、上の方をあらかた食べてしまってから、残ったご飯にまぶして食べたのだが、これがまたかすかに残るしらすの風味と絶妙のマッチング。幸せな気持ちで店をあとにした。

八幡宮に続く道(名前は忘れた)はまだ8時前だというのに、薬屋やコンビニなどがわずかに開いているだけで、大方は店じまいしており、不夜城のような都会の夜景を見慣れた目には少し薄暗く感じるほどだった。
駅前も洋菓子店や喫茶店などほんの数店をのぞいて灯りを落としており、その閑散とした感じや通りの薄暗さに、しばらく忘れていたある種の懐かしさを感じた。

人間に合った波長というのは案外この位のものなのかもしれない。
故知らずほのぼのとした気持ちで改札をくぐったのであった。
by katabami03 | 2007-08-24 00:03 | 私は思う。(日々雑感) | Comments(0)

アートに関する一考察。(リシノメ15)

かたばみ会館跡地(私が生まれ育ったところ)が更地になってから三ヶ月近くなるが、その後どうなっているのか見てきた。

現在、隣にあったビルの内部を解体している最中で、そのゴミの集積場になっていた。
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このゴミの山を見て思ったのだけど、この白っぽさといい、太いの細いののカラミといい、なんかジャンクアートっぽいなあ・・・。

たとえばビルのエントランスとか中庭など、しかるべきところに据えられ、キャプションの一つもついていると、これは「良く分からないけどきっと深ーい意味があるゲージツなんだ」と思う人もいるだろう。なかには「現代文明のアイロニーだ」とか「戦争への批判が込められている」などとまことしやかに語る人が出てきてもおかしくないよなあ。

まあこれは偶然出来たゴミの山なわけだけれど、これを然るべきところに設置するには特定の人の手で再構築されるわけで、そこから先がゲージツになるのだろうか・・・。

アートっていうのは手間暇かかるけれど、世間一般が思っているほど小難しいもんじゃあないと思っている。
何だか分からないけど心地いいとか、何だか分からないけど面白いとか、アートってそんなもんなんじゃないかなあ。

ともあれ、このゴミの山が即アートとはいえないかもしれないが、暑さに思考停止した頭には結構面白く見えた。
by katabami03 | 2007-08-22 00:14 | リシノメ | Comments(2)

秋の展示・告知。

一息ついたと思ったら再びの猛暑、ウンザリだけど季節はいきなりコロッと変わるものでもないわけで、ま、こうして少しづつ秋になっていくのでしょうね。

この秋は結構忙しいぞ。

9月
  4日~9日     美のかたち こころの器     ハウスオブシセイドウ (銀座)
  14日~17日   豊島区美術展華展        東京芸術劇場     (池袋)
10月
  6日~11月26日 神戸ビエンナーレ         メリケンパーク    (神戸)
  24日~29日(26,27日出品) 日本いけばな芸術展  高島屋     (日本橋)   
11月
  3日~4日     古流かたばみ会展        東京美術倶楽部    (新橋)

全て入魂です!
チケットご入用の方はご連絡を。
by katabami03 | 2007-08-20 22:18 | いけばな | Comments(0)

老後のためには・・・。

昨夜は久々にトミイセイジのライヴに行ってきた。
相方のハープ、居相毅さんとは始めてお会いしたが、なかなかに濃い~ぃブルーズマンだ。
トミイセイジもいつもはお客さんのニーズに合わせているためか、いろいろなジャンルの曲を演奏しているが、昨夜はコテコテのブルーズ一色。普段聞けないようなギターテクも随所にちりばめ、ブルーズマンの真骨頂を発揮していた。
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中学のときからギターを始め、これまでに5回くらい挫折しているが、時々無性にギターを弾きたくなる。そんな訳で一度トミイセイジの指導を仰いだことがある。
バッキングのスリーコードを弾いているだけでも、もう気分はブルーズマンだ。
また時間をみつけて教えてもらおうと思う。
ノンビリと、まあ老後のためかね。
by katabami03 | 2007-08-19 19:20 | 音楽又はブルーズ | Comments(0)

この魚は食べられる。

盆明け早々堅い話で恐縮だが、以前から気になっていることを聞いてください。

先ずタイトルを見て、皆さんはどのように思われるだろうか。

①この魚は(何者かに)食べられる。
②この魚は食べることができる。

そう、気になっている事とは、いわゆる「ら」抜き言葉。
今更説明する必要も無いだろうけれども、念のために確認しておくと、①は「受身」で②は「可能」ということだろう。私がどうにも納得いかないのは、②の方。
「食べられる」と同様に「見られる」なんていうのも、「可能」の意味で使われると、どうも肩の後ろの方がモゾモゾするような違和感を感じてしまう。
勿論、言葉は生き物だから時代によって使われ方が違ってきても、別段咎め立てされるようなことではないのだろう。かの大NHKのアナウンサーも「可能」の意味で、「食べられる」とか「見られる」とか言っていたので、そのような使い方が現在の常識的な使い方なのだろうが、それにしてもどう考えても非論理的に過ぎると思う。
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たとえば「取る」とか「殴る」なんていう動詞は「可能」の意味で「取られる」「殴られる」なんて使うだろうか。さらに「触る」や「舐める」はどうだ。
これらはどう考えたって「受身」だろう。

「私は食べられる」ではなく、「私は食べれる」。「あなたは見られる」ではなく、「あなたは見れる」。「可能」の場合はコレでいいのではないだろうか。

「その男は食べられる。」・・・うーーん、やっぱりジョーズかジェラッシックパークだよなあ。
by katabami03 | 2007-08-17 22:40 | 私は思う。(日々雑感) | Comments(0)