免罪符?

都内のとあるうどん屋、ふと目の前のティシュ箱に目がいった。
d0117565_21195851.jpg

「千のトイレプロジェクト」?

で、箱をひっくり返してみたらこんなことでした。
d0117565_2122854.jpg

細かいところはよく読めないとおもいますが、要は収益の一部で東ティモールにトイレを作ると言うことらしい。

この小骨がのどに引っかかるような違和感は何だ?
その主旨は決して悪いことではないのだが、どうにも素直に受け入れがたい。
確かに彼の地の衛生状況を思えば、誰も否定できない「善行」ではある。
だが、しかしだ、この企業は「ネピア」を作るためにまさしくあの辺り、ボルネオだかカリマンタンだか、あるいはズバリ、ティモールだか、その辺の原生林を大規模伐採しているのではないか。

さらに気持ちを暗くするのはユニセフを巻き込んでいること。
自分のところでやればいいものを、あえてユニセフという、誰もが否定しようのない組織と結びつくことで、いかにも善意の企業だと言わんばかりのたくみさ。

なんともやるせない複雑な気持ちでうどんをすするrisiであった。
by katabami03 | 2008-07-22 21:59 | 私は思う。(日々雑感) | Comments(2)
Commented by 大江戸時夫 at 2008-07-22 23:48 x
うーん、難しいところですね。強いて言えば「罪滅ぼし」の感覚ではないでしょうか。生業を成り立たせるためには伐採は不可欠。だとしたら、せめて出来ることとして、その地区のためになることをする。最近良く聞く「カーボン・オフセット」(二酸化炭素を出した分だけ、二酸化炭素を減らす何かにお金をつぎ込んでチャラにしようとする考え方)に似ています。まあ、小骨は引っかかるかもしれないのですが、何もやらないよりはやった方が世のため人のためになるとも言えるのでは・・・? それとこういう場合、ユニセフとか信頼できる機関に助けてもらわないと、お金がどこへ消えちゃうかわからないし、お金の使途に対する人々の不信感も募ってしまうのです(世の中には怪しげなNPO、NGOも多いそうですし)。自分とこだけでやると、なんかフトコロに入っていくような印象を与えますし、そういった運動に専属の社員をつけられるほど、どこの企業も人は足りてない時代なので・・・。 すいません、なんか企業側の肩を持ったような文になってしまいましたが、けっこう身につまされたりするるもんで・・・。
Commented by risi@いけばな at 2008-07-23 09:52 x
>大江戸さん
やりきれなさの要因は「やらないよりもやった方がいい」、まさにその点なんですよね。まったく否定しようがないわけで・・・。
熱帯雨林の伐採、よくオランウータンが引き合いに出されるけれど、、そこに住む何千何万という生物・種に対する地球始まって以来の大殺戮が行われているわけで、つまるところ自分達の生活のあり方を見直していかない限り改めようのない現実なのですよね。
企業が全面的に悪いわけではなく、共に知恵を出し合い徐々に方向を変えて行けるような社会になってほしいもんです。それと、やはり賢明な政治家を選ぶ必要性をより強く感じます。

 >ユニセフとか信頼できる機関に・・
いつもながら大江戸さんのご賢察、痛み入ります。
<< 睡蓮とエビのただならぬ関係。 小原流、多摩美とてんこもり。 >>