この魚は食べられる。

盆明け早々堅い話で恐縮だが、以前から気になっていることを聞いてください。

先ずタイトルを見て、皆さんはどのように思われるだろうか。

①この魚は(何者かに)食べられる。
②この魚は食べることができる。

そう、気になっている事とは、いわゆる「ら」抜き言葉。
今更説明する必要も無いだろうけれども、念のために確認しておくと、①は「受身」で②は「可能」ということだろう。私がどうにも納得いかないのは、②の方。
「食べられる」と同様に「見られる」なんていうのも、「可能」の意味で使われると、どうも肩の後ろの方がモゾモゾするような違和感を感じてしまう。
勿論、言葉は生き物だから時代によって使われ方が違ってきても、別段咎め立てされるようなことではないのだろう。かの大NHKのアナウンサーも「可能」の意味で、「食べられる」とか「見られる」とか言っていたので、そのような使い方が現在の常識的な使い方なのだろうが、それにしてもどう考えても非論理的に過ぎると思う。
d0117565_22210100.jpg

たとえば「取る」とか「殴る」なんていう動詞は「可能」の意味で「取られる」「殴られる」なんて使うだろうか。さらに「触る」や「舐める」はどうだ。
これらはどう考えたって「受身」だろう。

「私は食べられる」ではなく、「私は食べれる」。「あなたは見られる」ではなく、「あなたは見れる」。「可能」の場合はコレでいいのではないだろうか。

「その男は食べられる。」・・・うーーん、やっぱりジョーズかジェラッシックパークだよなあ。
by katabami03 | 2007-08-17 22:40 | 私は思う。(日々雑感) | Comments(0)
<< 老後のためには・・・。 夕立もなく・・・。 >>