もう来ることはないと思っていた。

およそ一か月半くらい前になるが、昔の山仲間の間でやり取りしているメールに、北アルプス山行の予定が書き込まれていた。それは、表銀座から槍ヶ岳~穂高岳縦走というなんとも羨ましい計画だった。
時々山行計画がアップされていたが、大概は休みが合わず今回もどうせダメだろうと思いながら日程をよく見ると、表銀座は無理だが最後の穂高2日間は合流することが可能ではないか。
急いでその旨返信し、準備に取り掛かった。

予定では、本隊は17日から山に入り表銀座縦走。20日北穂高岳(以下北穂)、21日に新穂高温泉に下山。私は18日の夜行バスにて上高地入り。20日に北穂にて本隊合流、という予定を組んだ。

今年は春先に体調を崩し、回復するころは展覧会で忙しく、その後は夏の暑さがピーク。ろくに運動をしていなかったが、本隊のブレーキにならないように急ごしらえのトレーニングを開始した。
ところが予定日近づくころ台風が接近、17,18日が狙いすましたように本州縦断ということになった。
本隊は、表銀座は早々に諦めていたがぎりぎりまで槍~穂を狙っていた。しかし増水で通れない箇所があるとの情報で、結局私より一日早く涸沢入りということになった。


さて18日。
昼過ぎまで仕事をしてから自宅への帰りがけに、山中での朝食や行動食を買い出し。荷物をまとめて夕食を済ませてから東京駅のバスターミナルへ。
平日なのですいているかと思ったが、上高地行きのバスは満席。午後10:40東京を出発した。

19日午前5:30周囲がまだ薄暗い中、上高地バスターミナルに到着。
寒い中を荷物をまとめて歩き始めるころ、徐々に周囲が明るくなってくる。

梓川と奥穂高岳(以下奥穂)から西穂高岳(以下西穂)へと続く稜線
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西穂の稜線
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河童橋から見る奥穂
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上高地から横尾までは平たんな道をおよそ3時間。
途中の徳澤付近から前穂方面を望む。
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横尾は中学から高校にかけての3年間、毎夏河原にテントを張って、ここから槍ヶ岳(以下槍)と奥穂に往復していたところだ。
横尾山荘はその当時から風呂や個室が備わっていた山小屋だが、立派な小屋に替わっていて、山荘以外の建築物も何棟か建っていて賑やかだ。
涸沢に向かう橋はこれも立派な吊り橋ができていて驚いた。
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横尾からは本格的な山道になる。
1時間半ほど登ると、ロッククライマーの道場「屏風岩」が見えてくる。そこを周り込むようにしながら高度を稼ぐ。
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急な道をさらに一時間ほど登ると谷が開け奥穂が眼前に全貌を表わす。
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睡眠不足にはこたえる階段状の登りをひと喘ぎしてようやく涸沢に到着。
今夜の宿は涸沢小屋。涸沢から北穂や奥穂に向かう少し高いところに建っている。

小屋のテラスから、涸沢ヒュッテとテントサイト、涸沢の万年雪を見おろす。
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小屋には12:15到着。ゆっくり歩いてきたがそれでも少し早すぎた。とはいえ寝不足なのでこれ以上歩く気はしない。
小屋の受付で本隊のことを聞くと、早い時間に北穂に向かったという事だった。
受付を済ませて大部屋の布団に横たわると、知らぬ間に寝入っていた。
二時間ほどしてから起きて、テラスでコーヒーを飲みながら本隊の下山を待つ。

テラスから見上げる前穂と前穂北尾根
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日が陰って寒くなってきたので小屋に入りしばらくするうちに本隊のメンバー4人が下山してきた。
再会と明日の登頂を祈って祝杯をあげ、夕食後は早々に就寝した。

9月20日午前4:40起床。朝食を済ませ、身支度を整えて5:30出発。
天気は曇りだが風も弱く、小屋の位置、2350mの高さにしては寒くない。
徐々に明るくなる中を順調に歩を進める。

ザイテングラード(奥穂への登山道)途中から見る北穂
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7:50稜線上にある穂高岳山荘に到着。涸沢側はほとんど風がなかったが、飛騨側からは強い風が吹いていて寒い。ここで小休止、各自携帯食などを補給して出発。

穂高岳山荘前から見る奥穂への登り
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終始強い風に吹かれる中、9:15奥穂山頂に到着。およそ40年ぶりの山頂で感慨もひとしおであるが、風が強く、じっとしているととにかく寒い。郷愁に浸る間もなく、とりあえず記念撮影だけ撮って先へ進む。
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奥穂山頂付近から槍を望む
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時々吹き倒されそうになるような強風の中を前穂に向かう。振り返ると奥穂山頂付近ではガスが出始めている。
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11時を少し過ぎたころに前穂山頂直下の紀美子平に到着。ここに荷物を置いて、から身で登れば山頂までは30分足らずなのだが、時々吹き倒されそうになるほどの強風の上ガスがかかり始めている。山頂に行っても眺望も得られないだろう。全員以前に登頂していることもあり無理せず下山しようということになった。
2時頃に宿泊予定の岳沢ヒュッテに到着したが、その夜は「予約がいっぱいで5人は厳しい。できる事なら下山してほしい」と言われて、止む無く上高地に向かう。
ここで終わり。やっと靴が脱げる、と思っているところに、再び歩くというのは精神的にも肉体的にもかなり厳しいものがある。
まあ、そうこうしながらも無事に下山。
いろいろあったが、終わってみれば実に充実した二日間であった。




by katabami03 | 2017-09-22 21:37 | 旅・山
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