私も忘れない。

このたびの国会のスッタモンダ、論理も倫理もないみっともない姿を世界中に晒してしまた。こういう光景を見て育った子供たちが将来どうなっていくのか、それを憂うる。
様々な考えの人がいて、勿論今回の法案に賛成の方もおられよう。だが私はあらゆる面からみてやはり反対の立場を取らざるを得ない。
「選挙で選ばれた国会議員が決めるのが民主主義だ」という意見がある。それも一理であるが、このたびの法案に対しては国民の半数以上が反対している。このねじれ状態のままに丁寧な説明や徹底した議論を経ずに決めてしまうこと、これも民主主義というのだろうか。
選挙が全てだとは思わないが、仮にそうであるならば次の選挙でこの思いを伝えるしかない。

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「自由と平和のための京大有志の会」が今の私の思いを代弁してくれるかのような声明文を出した。
全文掲載するのでご一読願いたい。


「あしたのための声明書」 ー 自由と平和のための京大有志の会

わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。

わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。

わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。

わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。

きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。

わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
by katabami03 | 2015-09-20 18:05 | 私は思う。(日々雑感) | Comments(0)
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