大地の芸術祭、見てある記。(その2)

7月31日

昨日今日と、今一つ天気はすぐれないが、雨がふっていないだけでもラッキーか。
それにしてもこの天候、お米の作行きが危ぶまれる。それにジリジリした太陽に灼かれながら作品を見て歩くのも大地の芸術祭の特徴。暑くないのは有難いことだが、どことなく物足りなさをも感じる・・・人間というのは勝手なものだ。

今日は最初に石塚沙矢香「うかのめ」を見る。
石塚さんは前回までこへび隊として活動していたそうだ。「うかのめ」とは「稲魂女=食物をつかさどる神」とのこと。
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この白い糸のように見えるもの、よく見ると・・・。
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そう、お米なんですよ!
降り注ぐ米の慈雨、透けるような美しさの中に一抹の「悲しみ」を感じるのは私ばかりか。

余談であるが、石塚さんが作品を展開した家は、前回にはアイシャ・エルクメンという作家がインスタレーションを展開した家だ。↓
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2006年のアイシャ・エルクメンの作品は特に話題にはならなかったが、私的にはかなり好きな作品で、なかなかに「泣かせる」作品だった。
この家に対して、益々親しみを深くしてしまった。

続いて見るのが、これも今回の目玉の一つ、アントニー・ゴームリー「もうひとつの特異点」。
家の中に無数に張り巡らされた紐、ある一点に行くと、中空に人体が浮かび上がるという作品。
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見てきれい、探して楽しい、見つけて感動。

昼食は十日町へ。
十日町の拠点、越後妻有交流館「キナーレ」。外観と内部。↓
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この中でもいくつかの作品展示やプロジェクトが進行中。

昼食はお隣の「クロス10」。ここでは食事、喫茶、お土産など。
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「クロス10」のガラス窓には前回の作品写真が貼られていた。
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あれまあ、嬉し恥ずかし、2006年の私の作品が貼られているではありませんか。それも二枚!
さてどれでしょう。
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さて腹ごしらえもでき、今回の最後の行程へと出発。

先ずは十日町のお隣、土市の国道沿いにある、元歯医者さんだった空家の作品。
ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー「ストーム・ルーム」。
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うーん、さすが大地の芸術祭と思わせる作品だ。こんなのが出てくるとは予想外だった。
子供のころの記憶が蘇ってくる。こういう経験がない若い人でも自然への畏怖の念を覚えるのではないだろうか。

続いて昨夜泊った当間の近くにある作品を二つ。

最初は高橋治希「蔓蔓」。
九谷焼の磁器で作られた花が部屋一面に浮遊する、文句なしに美しい労作。
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店番をしていた十日町市役所の人に聞いたところ、「昨日は15人くらい、今日は30人くらい来たかなあ。」とのことだった。この作品はきっとクチコミでもっともっと評判になるだろう。

すぐ近くにある山本想太郎「建具ノニワ」。
前回はプロスペクターという名で、他の二人の建築家とともに「足湯」を作った人だ。
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石蹴り遊びのような感じで、建具を踏まないようにして、向こう側の出口まで歩いて行ける。
遊びながら日本家屋の建具の面白さ(良さ)を体感できる。

さて今回のツアーもいよいよ最後の場所、清津峡へと向かう。

清津峡周辺にもいくつかの作品が点在しているのだが、今回は二作。
最初は青木野枝「空の粒子」。
遠目に見ると、何?という感じだが、近づいてみると何と1㎝近い鉄板を輪状に溶断したものを溶接して倉の内外に係わらせている。これもまた根気、体力のいる仕事だ。
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ツアーの最後は清津峡渓谷トンネル内に展示された、山本浩二「清津峡トンネル美術館」。
妻有のさまざまな樹木で作った造形物(木彫)を炭化(炭)させた作品がトンネル内にズラーっと並ぶ。
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ここでツアーの一行と別れ、私は自車で帰京。慌ただしくも充実した二日間であった。


今回お見せした作品は大地の芸術祭2009のごく一部。前評判の高い作品はもとより、かくれた、あるいは知られざる佳作がまだまだ沢山あるわけだ。
この展覧会の作品見ていて常々思うことだが、どの作品にもどこかに人の息遣いがあり、あるいは人の気配がある。そして妻有の自然とそこに生きる人々への深い畏敬の念を感じるのだ。
総合プロデューサーの北川フラム氏が「都市の美術は病んでいる」と喝破したごとく、観念のドツボに嵌って悶々とのたうちまわっているようなアートは、この圧倒的な自然の前ではいかにも脆弱なもののように思えてくる。
大地の芸術祭は公式の展示やイベントのほかにも、地域の祭りや自発的なイベントをもひっくるめた、何でもアリの大祭の様相を呈している。
猥雑な祭り、と思うむきもあろう。しかしそれは何と健全な猥雑さであろうか。
by katabami03 | 2009-08-03 00:36 | 大地の芸術祭
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